WEEKLY REPORT | 第764号 No.5 2009年8月16日 |
ロータリーの未来はあなたの手の中に |
前例会の記録 | 本日のプログラム | 次例会の予定 |
○8月10日(月) 第763回 ○ソング:君が代・奉仕の理想 ○行事:外部卓話 岐阜商工会議所 常務理事 斎藤博之様 (担当:会長・幹事) |
○8月16日(日) 第764回 ○行事:花火鑑賞例会 (於 岐阜グランドホテル) (担当:出席・親睦) |
○8月23日(日) 第765回 ○行事:トンボ池清掃 (担当:社会奉仕委員会) |
会長挨拶 (竹島武彦会長) | |||||||||||||||||||
◎武藤会員挨拶 皆さん、こんにちは。やっとかめでございます。20日に長良川国際会議場で、1600名ご動員いただき、皆さま方には盛り上げていただきましたことを心から感謝申し上げます。いよいよ、40日の選挙も約半分。すっかり街頭焼けしてまいりました。マニフェストも出揃いまして、第一回テレビ党首対談が12日に開かれると思います。ぜひご覧いただければと思います。大変暑い夏でございますが、皆さま方にはお体には充分お気を付けいただきたいと思います。 大変厳しい財政です。毎年1兆円ずつ社会保障費が自然増しています。小泉さんの時にさまざまな制度改革をやって、その反省が今いろんなところに出ています。「チェンジ」という気持ちは良くわかりますが、どちらかといいますと、小泉さんの改革を民主党さんが受け継いでいるような流れにみえます。麻生さんは景気対策をやってきて、これを継続して、とにかく実行させるということが、今の日本を立て直す唯一の方法だと思います。中小企業対策はいろいろとやらさせていただきました。役所のいろいろ制度はありますが、要件が非常に厳しいと思います。ですから、本当に政治の力が大切になってくると思っております。企業の立場からは厳しい面がございますが、皆さんと一緒に戦っていくしかないと思っております。ロータリーの皆さんの友情は大変ありがたいと思っております。がんばってまいりますので、よろしくお願いいたします。ありがとうございました。 |
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慶祝行事 (出席・親睦担当 杉江正光委員) | |||||||||||||||||||
水野雄二君 柳原英三君 後藤昌弘君 ◇夫人誕生日 篠田弥佑紀様 ◇結婚記念日 後藤昌弘君 |
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ニコボックス投函発表 (クラブ奉仕委員会ニコボックス担当 堀場弘一委員) | |||||||||||||||||||
岐阜商工会議所常務理事、斎藤博之様、お忙しいところお越しいただきありがとうございます。いいお話を聞かせてくださいね。 ◎中島幸宣幹事 斎藤常務理事様、出張先から駆けつけていただき、ありがとうございます。暗い話題が多い中、楽しい卓話を期待しています。 ◎篠田伸実君 武藤容チャン、体に気をつけて必ず勝って、国のために尽くして下さい。ガンバレ。 ◎水野雄二君 先日、柳津のレストランで、フラメンコのライブを観てきました。小さな会場ですが、迫力一杯でよかったです。会場で真鍋さんの奥さんにお会いしました。 ◎堀井利通君 ニコボックスへの投函を期待しています。武藤さん、第3区のために勝って下さい。 |
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委員会報告 | |||||||||||||||||||
7月19日に開催されました新会員会員増強研修セミナーの報告をさせていただきます。研修会という名前ではございましたが、実際は今のロータリーの根本についての話が多かったように思います。地区のテーマは、「目的を自覚し、具体的活動を」で、目的は、増強することによってロータリーの根本、推薦活動ということをもう一度見直していただく。具体的には、未充填の分類等を再度確認する。パスト会長にもご活躍いただき、推薦活動を通年怠らないようする。今の経済状態ですと大変難しいということは、委員会の方でもよく承知してみえますので、やたら増やせばいいというわけではなく、やはり質を重視して入会していただく。すぐ退会されることのないように、入会の時によく説明をして、奥様共々よくご理解をしていただいた上での入会を再確認していただきたい。入会式は、ぜひ新入会員の方が感激される入会式にしていただきたいというお話もございました。せっかく入会していただいても、やめられることが多いそうで、そのようなお話がございました。 ◎親睦担当 杉江正光委員 16日に花火大会がございます。18時集合、それから食事をしながら花火鑑賞でございます。ただいま、会員13名、奥様5名、お子さま3名、合計21名出席いただく予定です。よろしくお願いします。 ◎国際奉仕・米山委員会 堀井利通副委員長 張さんよりお手紙をいただきましたので紹介いたします。「最近、北京は朝晩涼しくなりましたが、昼間はまだ暑いです。会社の仕事は全体的に昨年より少し減りましたが、他の会社と比べればまだまだ忙しい方です。先週、やっと時間を作って、家族で 「承徳」というところ、牛や羊を放牧する草原へ、2泊3日の旅行へ行ってきました。承徳は、北京から250キロの距離で、車で約3時間かかります。そこには、遺跡が多くとても興味があり、楽しかったです。次の日は承徳からまた3時間かかって、240キロくらい先の草原へ行きました。そこには、モンゴル民族の居住地で、牛や羊を放牧する生活です。なかなか良い風景です。米山奨学会中国学友会が3月に設立されまして以来、いろいろな活動を毎月1回、例えば環境を守るための清掃や、日本大使館との懇親会、太極拳講座などを行ないました。来週は学友会の人々と遠足に行きます。楽しみにしております。」写真を皆さんに回しますのでご覧下さい。 ◎社会奉仕委員会 堀井利通委員長 トンボ池の清掃を8月23日日曜日行ないます。午前8時点鍾、集合場所はトンボ池の看板前でございます。雨天の場合は、清掃は中止ですが、現地にて例会のみ行ないます。本日、皆さまへFAXの案内をお送りいたします。よろしくお願いいたします。 ◎インターアクト委員会 田口利満委員長 8月8日土曜日、インターアクト年次大会がございました。長良校インターアクトクラブの生徒さん、先生と参加してまいりました。場所は大垣スイトピアセンターで、韓国からインタアクターが25名。日本の生徒さん380名が参加されました。和太鼓の演奏を聞かせていただきました。大変素晴らしい演奏でした。 |
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外部卓話 (担当:会長・幹事) | |||||||||||||||||||
岐阜商工会議所 常務理事 斎藤博之様 私は商工会議所へ入りまして35年。会議所の中では私が一番古くなりました。岐阜市で経済の政策を進めた時、はやり水面下でいろいろな動きがございます。以前、「21世紀もっとも落ち込む都市、ナンバーワン」は岐阜市でした。その頃、市の若手連中は何とかして、この岐阜市を良くしなくてはいけないという気持ちがありました。岐阜市というのは、ほとんどがサービス業中心の町です。ですから、そこを刺激すればいいのではないか。人口は昭和35年から40年までの5年間に毎年1万人ずつ増えました。40年代、50年代は毎年5千人増えていました。50年代までは大変活気にあふれていました。だから高島屋もパルコも岐阜に出店したのです。 コンベンション都市戦略といいまして、定住人口が増えないのであれば、来てくれる人を増やす。観光客でもビジネスでもなんでもいいのです。来てもらってお金を落としていっていただこう。これがコンベンションというやり方です。アメリカのシカゴでは、「マコーミックプレイス」という巨大な展示会場があります。バイヤーが集まってそこで商品の説明を受け、取引をします。シカゴはそれで潤っています。それを真似しようと岐阜市では昭和63年、コンベンション都市構想を打ち出しました。商工会議所も、私自身が63年から4年間出向して、コンベンションビルを創りました。例えば、千人の団体がこのグランドホテルでパーティをやってもらうと、1人5千円として500万円。電車で来た人は岐阜駅からバスかタクシーに乗ります。大きなイベントでは警備員が必要です。花屋さん、テーブルクロスのクリーニング等々、80以上の業種にお金が回ります。当時、商工会議所は岐阜市をコンベンション都市にしようと仕掛けたわけですが、岐阜市が国際コンベンション都市として指定されるためのインフラとして、まず国際会議場、コンベンションビルがありません。宿泊施設は、旅館はあるがホテルがない。「長良川メッセ計画」と名付け、岐阜で最高の景勝地に、コンベンション対応ホテルを計画しました。 「経済界」と申しますのは、じゃあ実際、何が経済界なのか。40年位前を思い出していただきたいと思います。「財界の鞍馬天狗・中山素平」、「財界の政治部長・藤井丙午」・・・経済界には色々な方がみえました。今はこういう個性のある方がいらっしゃらないですね。私ども田舎の方で経済界といいますと、商工会議所があります。それから経済同友会、経営者協会があります。違いは何かということでございますが、同友会は県に一つあり、個人の資格で参加します。経営者協会も県で一つ、経営者ということではございますが個人で参加します。商工会議所の場合は少し違いまして、「商工会議所法」という法律がありまして、その法律に則った団体が所属しています。では元々、商工会議所はなぜつくられたのか。明治の初めの頃、民意を発露する組織がないことから、福沢諭吉さんらがつくったのが、商工会議所(東京会議所)です。岐阜商工会議所は、明治23年、商工会議所法ができた年にできました。今年は市制120周年ですが、岐阜市ができた一年後にできています。ところが、もともと岐阜商工会議所の前身である「岐阜商工会」は明治17年にありました。ではなぜ、商工会ができたか。東海道線の大垣と岐阜間の路線をどうするのか、ということから、経済人を集めて意見を聞くことになりました。それでできましたのが岐阜商工会です。その後、法に則って岐阜商工会議所ができました。法律があることから、ありがたいことに商工会議所は「経済界」という見方をしていただいております。先ほど武藤先生からもお話しがございましたが、本当に手厚い中小企業政策があるのです。私どもの方へも下請けを含め2重3重4重、ものすごくきております。私も相談をお受けしますが、私で対応しきれない相談の場合はすぐ、診断士や税理士などの専門家につなぎます。とにかく商工会議所はサービス業であるという認識でおります。その他にも会館を所有し、ロータリーさんやライオンズさんにも入っていただいておりますが、色々な団体さんに使っていただいております。また、簿記の検定などさまざまな検定を行なったり、会員のためにも色々な支援を行なっております。一番大切なことは、商工会議所ができた目的どおり、国や外国に意見を出すことです。ですから、国、県、市などの多くの委員会が入っています。それから大きな国のプロジェクトには必ず参加をしております。国の5ヵ年計画に入らなければ、事業が成り立たないからです。 中部国際空港について、お話しさせていただきます。昭和50年頃、東京圏、大阪圏にあって、中部圏にないもの・・・国際空港です。中部圏に国際空港を造れば、中部圏の地位も上がるのではないか。空港には、拠点空港、地方管理空港、その他の空港、共用空港があります。拠点空港には、成田国際空港や中部国際空港、関西国際空港、これらは民間の会社です。国が管理する東京国際空港。この4つが「国際」という名前がついています。その他に「千歳」「新千歳」とか「大分」「宮崎」など全部で28あります。地方管理空港は、55あります。いわゆる「国際」はついていません。例えば「富山空港」「松山空港」などです。その他の空港は、空港であっても「飛行場」という名前になります。これが10あります。共用空港は、青森県の「三沢飛行場」など民間と自衛隊が共用しています。平成3年頃は、第一種、第二種、第三種とありまして、第一種が今でいう国際空港です。昭和60年1月9日に中部国際空港建設促進期成同盟会が結成され、その後、中部空港調査会をつくり、実施計画を進めました。その段階で岐阜へ誘致しようだとか、愛知へ誘致しようだとかいう話が始まりました。昭和62年、三重県知事が、木曽岬(きそさき)を候補に上げました。木曽岬と申しますのは、木曽三川の河口、長島町の長島スパーランドの東あたりです。ここは干拓地です。近くには鍋田干拓があります。63年には、豊橋市と豊橋商工会議所では、三河湾を候補に上げました。伊勢湾東部、今の常滑ですね。伊勢湾西部(鈴鹿の沖合い)、伊勢湾北部(木曽岬)、三河湾、この4つが先ほど申しました中部空港調査会が昭和64年1月に出した報告書に明記されていました。場所的には木曽岬が、愛知県からも岐阜県からも三重県からも一番便利なのですが、民家がありますし、伊勢湾の船の航路もあります。風の流れも考えると常滑が一番良かったようです。関係者の中では、常滑やむなしと、いわれていました。三重県、岐阜県は木曽岬を推進していましたが、岐阜県は最終的に上松知事さんが岐阜県議会で「常滑やむなし」と発言をされました。「その時、経済界は動いた」わけです。経済界が動かなければ事業は進みません。三重県、岐阜県からの空港アクセス整備については、いまだに県議会、私ども商工会議所にも来ていただく団体があります。 |
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2009-2010週報/年間行事予定 | |||||||||||||||||||
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