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WEEKLY REPORT 第748号 No.29 2009年3月23日
 夢をかたちに

前例会の記録 本日のプログラム 次例会の予定
○3月16日(月)第747回
○ソング:それでこそロータリー
○行事:卓話(我等の生業)
(担当:クラブ奉仕委員会[職業分類・会員増強])
○3月23日(月)第748回
○ソング:手に手つないで
○行事:会長エレクト研修セミナー
報告
(担当:会長エレクト)
○4月4日(土)第749回
○行事:観桜例会
(例会変更)
(担当:クラブ奉仕[出席・親睦])
会長挨拶 尾藤英邦会長
 北京にいる元奨学生の張さんからメールが届きましたので紹介いたします。3月14日昼の日付です。『いつもお世話になっております。長い時間に連絡をしていませんが、尾藤先生と奥さんは相変わらずお元気ですか。私は2月から会社へ戻って仕事をしました。今、足もうだいぶ良くなったから心配しないで下さい。』 実は年末に張さんは、足を骨折されて療養されていました。『昨夜、会社の友達と2人で、「浅草」という日本料理屋さんへ食べに行きました。とても懐かしいです。あの店の30代のご夫婦は、長年に大阪の料理屋さんで働いたそうで、味は結構、本場ですね。昨日、久しぶりに刺身を食べました。それからサラダ、串もの、焼き鳥、焼き魚、てんぷら、鍋、お寿司などみんな少しずつ食べました。友達は日本料理を食べるのが初めてですから、生もの大丈夫かなと思ったが、彼女はずっと「おいしい、おいしい」と言いましたね。食べながら、前、日本にいた時のいろいろな話をして楽しかったです。日本のことが懐かしいですよ。また、もう一つ報告したいことがあります。中国米山奨学生学友会は成立します。今、みんなは自分の職場でがんばっていますし、そしてロータリーの精神を母国で活用したいため、みんな集まりましたね。3月28日に北京で成立大会を行ないます。東京から、米山の会長と副会長一行はいらっしゃいますので、北京と周囲の省、市の学友120人くらい参加する予定です。盛大ですね。楽しみにしています。また、成立大会のことを報告します。今日こちらは暖かく、いい天気です。日本はそろそろ桜の時季になりますね。きれいな桜が懐かしいです。季節の変わり、からだに気を付けて下さいね。奥さんによろしくとお伝え下さい。』 早速、3月15日夜10時58分、またすぐにメールが届きました。『早速ご返事ありがとうございました。尾藤先生、お忙しいところ、頼むことがあります。昨日、中国米山学友会からお知らせがありました。3月28日の成立大会、それから31日に日本大使館と米山奨学生との懇親会があります。そこで、PPTで個人とコラムの写真を練るため、前クラブの活動、ロータリーの活動に参加する写真などを提供して下さいとのお知らせがありました。尾藤先生、お忙しいところすみませんが、こんなこと頼んでもよろしいでしょうか。私は、前クラブにいた時に、卓話の写真や、社会奉仕の活動とするトンボ池清掃の写真、年末忘年会の写真を提供することが可能でしょうか。それから、2005年11月に三重県での地区大会で、私は2630地区米山奨学生の代表としてスピーチしました。その2005年、2630地区大会のCDをいただけませんか。こんなことは、他の人に誰に頼んだらいいか、よくわかりませんので、尾藤先生にしか頼めません。こんなこと可能でしょうか。お忙しいところすみませんでした。』というメールがありまして、早速、今日事務局にお願いして、そのCDは手に入りました。お送りしたいと思います。張さん、向こうのほうでがんばっていらっしゃいます。昨年8月に、北京オリンピックに行きました時に、張さんとご主人のレイさんにお会いしまして、いろいろと接待を受けました。彼らも随分とがんばっているようです。以上報告を終わります。
  出席報告
本日のホームクラブ
9 / 17 (53%)
先々週の補正出席率
15 / 17 (88%)
ニコボックス投函発表 (担当 柳原英三クラブ奉仕委員長)
◎真鍋貞典会員
 先週は出席ができずに申し訳ありませんでした。W.B.C.キューバ戦、祝・快勝!
委員会報告
◎幹事報告 田口利満幹事
3月21日土曜日:会長エレクト研修セミナーがございます。
3月23日月曜日:会長エレクト研修セミナーの報告をお願いします。今日、武藤会員のパーティが東京でございます。お出かけになられている会員の方がありますので、この模様を伺います。
3月30日月曜日:休会
4月4日土曜日:観桜夫人同伴例会を6時から開催いたします。今、会員の方が13名とご夫人が6名、19名のお申込をいただいております。
4月13日月曜日:ミニ卓話、「我等の生業 第2回」です。大野会員、広江会員、堀井会員、高橋会員、篠田会員の5名の方にお願いしております。
4月19日日曜日:地区協議会。出席義務者はまた連絡させていただきますので、よろしくお願いします。
4月20日月曜日:地区協議会の報告。そして岐阜城ロータリーさんが訪問されます。ご出席を皆さまよろしくお願いいたします。
4月27日月曜日:外部卓話となっておりますが、内部卓話で真鍋先生にお願いしております。
卓話「我等の生業」 (担当 クラブ奉仕委員会[職業分類・会員増強])
堀場弘一会員
◎堀場弘一会員
 ご存知の方、いらっしゃると思いますが、私の仕事は、育児用品、ベビー・子どもの諸々の品物を扱う仕事をやっております。特に乗り物関係ですね。一番多かったのは、ベビーカーなどですから、普段、皆さんにはほとんど関係ないので、話題に上ることもなかったと思います。非常に地味な業界に籍を置かしていただいております。私は、途中でその商売の方へ帰ってきたのですが、辞めて帰ってきた頃、一番自分で何となく難しかったのは、その当時、今から30〜40年前くらいでしょうか。いわゆる問屋無用論ということで、日本の問屋はゆくゆくは、必要なくなるのではないか、という議論が非常に盛んになっていた、そんな時代でした。実は、私も、公平に考えて、ゆくゆくは問屋なんて要らないんだということを信じて帰ってきましたが、たまたま帰ってきたところは、子どもの乗り物などの問屋をやっていたものですから、表向き、問屋は要らないとは言えなくなりました。そうでもなくなったのは、お得意さんを回るようになりましてからです。県内が比較的多かったのですが、いつも田舎の方へ行きますと、少量の荷物というのは、なかなか輸送が大変ですから、よほど小回りの利く人でないと、商品の供給ができないという感じが非常にいたしました。自分の先行きより、地方の、極端に言えば田舎の小売店さんに対しては、存在価値があると思いまして、それから、かなり一生懸命仕事はしたと思います。ただ、本質的には地方回りの問屋はなくなるという思いがありました。今はかなり広く大きくなっていますが、いわゆるベビー・子ども用品をトータルで展開する小売店さんの方へ仕事を伸ばしたいという気持ちがありました。一時はそれで、そこそこやっていました。ただ根が気楽なものですから、気楽に仕事しておりました。未だに問屋というのは、少なくとも地方の小売店さんには、いくらか存在価値があると思いますが、流通の中の存在としては、大きく役に立つようなことは、やはりないと今でも結論として持っています。その証拠というわけではありませんが、小売店さんそのものが減りまして、量販店さんが日本中どちらの地域でも増えて、商品量からすべてにおいて、強くなりますから、従来からの小売店さんはとても対抗できないということです。ですから、小売店さんはどんどん減り、田舎の方へ行きますと、私と同年輩くらいのおじいちゃん、おばあちゃんが電気を半分消して店番するような、そういう小売店さんが結構あります。それを見ているといかにも辛いです。たいていその中で何とかならないかと思いますのは、だいたい息子さんはいらっしゃるんですね。ところが、家業は継がないで、他の仕事にお勤めに行かれることが多い。結局、小売の商売には魅力がないということで、そういう姿でいいのかということは、すごく感じています。一番問題なのは、どんな仕事でも同じだと思いますが、創意工夫といいますか、どうしたらいいのかということを一生懸命考えてやっていかなくては、いけないと思います。私同様、田舎の小売店さんには、そこまで頭の切れる方がいらっしゃらない。近年は世界中の流通の中では、「大きいことはいいことだ」という流れできていますが、私は、人情の通うような商売はもっと形を変えるべきだと思っています。昔ながらの地方、田舎なら田舎なりの小売店さんの生きる道が、何とか作れるといいと思っています。それはたくさん売るということではなくて、少なくとも生活が安定し、ある程度満足ができるような方法はないかと思います。いずれ、問屋業というのは、もっと減って、小売店さんも減っていくと思いますし、残るのは都会型の小売店さんくらいかと思います。何かもう少し田舎の方でも、ひと工夫できるような、1店だけで無理なら5〜6店集まって、何かできるような形を作ってあげると、いくらか「生きがい」が出てくるんじゃないかとは思っています。
 赤ちゃん、子どもの物を扱っていまして、非常に象徴的に感じますのは、この辺の愛知、岐阜、三重では、「ういだち」という習慣があるのをご存知でしょうか。お嫁さんが、嫁ぎ先で赤ちゃんができまして、実家へお帰りになって出産されます。そして嫁ぎ先へ戻られる時に、お子さんの道具、着る物一式そろえて持って行くという習慣があります。これは、私が帰ってきた頃、まだ盛んでした。例えば、うちのお得意さんでいえば家具屋さんとかおもちゃ屋さんは、その恩恵を受けていました。特に家具屋さんの場合は、婚礼でお客さんをつかんで、その次にお孫さんが生まれたということで、そこそこの家ではベビーダンス、整理ダンス、ベビーベッドなど大きい道具を全部そろえまして、それから着る物ひと通り、祝い着も全部そろえて、今から30〜40年前でも、少なくても40〜50万の商いになります。それは、今はほとんどなくなりました。暮らし方が変わりまして昔の和風の造りの家ではなくて、今の若い方はほとんど、マンションにお住まいなので、タンスなど置く場所がないですね。それも、家具屋さんの衰退につながっていると思います。岐阜は箱物といわれるタンスなどを製造している家具屋さんが、比較的、多くありましたが、今は本当に指折り数えるというくらい少なくなりました。今、流通の中にいる方が非常に厳しい暮らし方になっていると思います。その中でいいますと、私は非常に幸せでして、商売の始まりは、私のおじいさんの時からです。私はずっと、しょっちゅう酒を飲みながら「私は3代目だから、貸家とか売家って貼って出て行けばいいや」って、気楽なことばかり言っていました。それで過ごしてこられた私は、大変幸せ者だと思います。その上、ロータリーに入れていただいて大変幸せです。
真鍋貞典会員



◎真鍋貞典会員
 私が開業いたしましたのは、昭和57年の7月で、28年目になります。開業した当初は、歯科医院もまだ少ない時代でして、地元でいいますと笠松の町中に4軒くらいでしたか。柳津町でも、私の先輩が1人、やってみえたくらいでした。今は、患者さんが随分、分散する時代になりまして、一時のようなことはなくなりました。昔の話を先輩から聞くと「夜明け前から順番を待ってみえた」という時代があったそうです。私が開業した当時が、歯科業界にとっては最後のゴールドラッシュの時代だといわれました。ちょうど、その頃、私が学校へ入る当時ですね、政府の方針で、歯学部がたくさんできまして、私が入学した後から、一期の国立大学にずいぶん歯学部ができました。そういう時代を過ごしてきまして、確かにちょうど柳津と羽島の境のあたりが、歯科医の空白地帯でして、あの辺りの患者さんが、たくさんおみえになりました。今では、コンビニより歯医者が多いといわれる時代になってきまして、患者さんが歯医者を選んでおいでになるという、歯医者過剰の時代と言われております。それに最近の政府の方針としまして、医療福祉をどんどん削減する方向へ向いておりまして、保険点数の削減ですとかね・・・。保険点数というのは、やった仕事に対して何点、何点と、それを10点で掛けて何円に換算して、我々の仕事に対して支払いをもらうようになっていますが、その辺の点数のさじ加減を、厚生省のお役人が、予算の中でこれだけは歯科業界へ回そうという総枠から、どれだけと振り当てて、それに理屈を付けるように点数を配分したようであります。歯科というのは、「かぶせもの」で金属を使いますので、相場で随分、金額が変動します。安い時で1万2、3千円、この前は2万5千円くらい。倍くらいになります。そうすると、厚生省はどういうことをするかというと、最近6ヶ月の平均を取りまして、その材料代を割り出して、保険点数に加味して、奥歯の「かぶせもの」は、何点・・・というように、変動性です。しょっちゅう材料代を見直した点数の変更がございます。そのようにして保険というのは運営されていくわけですね。あの評判の悪い後期高齢者医療も、根本的には支出を減らし、患者さんに負担していただいただいて、財政を少しでも改善しいようという目論見でやっておるのでしょうが、高齢者にとっては迷惑というか、健康面に関することですからお年寄りに敬意を払って、もう少し考えた政策とっていただけると、我々も患者さんも助かると思います。それから、最近、仕事をしていて一番辛いのは、細かいところが見にくくなったことですね。渋々拡大鏡をはめてやっております。早急に衰えたとは思いませんが、はやり衰えはありますね。その辺を日々努力しております。逆に若い時には見えなかったものも、見えてくることがありますね。医療というのは、そういうハード面だけではないですね。やはり、患者さんの気持ちを少しでも汲み取れるような、「ゆとり」とは違うかもしれませんが、多分経験を積んだおかげと思います。患者さんの話を以前よりは多少、お聞きできるようになっていると思います。堀場さんもおっしゃってましたが、私の場合、後継者がありません。娘がおりますが、会社員で朝早くから行って、夜遅く帰ってきますが、娘は娘なりに選んだ仕事を楽しんでやっているようです。問題点は、医療というのは進歩していきますから、その医療に必要な機材ですね。それを後継者がいないのに、高額な先進の機材を投入するのは、思い切っていけないところがあります。先ほどの話ではありませんが、ハードばかりではなくソフトの面で改善できることは、少しでも改善して、そんなにこの先長くはないと思いますが、できる限り元気でやっていきたいと思っております。


中島幸宣会員
◎中島幸宣会員
 このホテルに着任いたしまして、3年ほど経過いたしました。3年前、会社からの要請で、エトスロータリーさんの卓話ということで、着任早々、ホテル業の沿革ということでお話させていただいたことがありました。その後、社長が着任した時に「エトスへ入るように」ということで、こうして皆さんとご縁ができました。いろいろとご縁を感じている次第でございます。私どものこのホテルは昭和39年、ちょうど東京オリンピックの年にできました。この4月1日で45周年という節目の年を迎えます。日頃、特に地元の方々に大変支えられて、今日に至っているということもございまして、この45周年にちなんで、お値打ち感のある商品をいろいろ企画しております。具体的には、この3月・4月には、6,000円相当のお料理を45周年にちなんで、4,500円で『お祝いフェアー』を開催いたしております。宿泊のほうでは、お一人様1泊朝食付で、4,500円、お二人では9,000円でお泊りいただけます。4月1日は花火を打ち上げます。7月、8月の花火大会ほどのものではありませんが、100発ほどの花火を打ち上げまして、45周年のイベントを企画しております。
 ホテル業といいますのは大きく分けて、施設、料理、サービス、この3つの要素によって構成されております。他にも最近では雰囲気ですとか、快適性などがそこに加わります。元々ホテル業とは、そんなに儲かる仕事ではございません。というのは、労働集約産業で一番コストのかかる部分が内在されている業界でして、バブルの頃は大変売り上げがございましたが、その後、愛知万博もありましたけれど、それ以降は右肩下がり売り上げが推移している中で、経常的な設備投資は、していかなくていけません。償却の半分は投資のほうへということで、現在、客室の改装に、ここ1、2年は集中しまして投資するということで、すでに改装に取り掛かっております。あとの半分で借り入れを返済し、収支トントンで雀の涙ほどの黒で、このところずっと推移しております。製造業などと違いまして、景気がよろしいからと、それほど儲かるわけではございませんが、逆に景気が悪いからと、それほど大きく極端に収支が悪化することはないという定説がホテル業にはあります。ただ、我々は生活必需品を売っているわけではございませんから、地元の企業さんが儲けていただいて、その分与で私どもの方をご利用いただくということが多いわけでございますから、来期辺りは大変厳しいのではないかと思っております。厳しいということになってきますと、売り上げに対しまして、一番大きなコストは人件費でございますから、できるだけ総括人件費を圧縮してということになりますが、そこに大きなジレンマがありまして、それをやりますと、人的サービスの低下につながってしまいます。少数精鋭は少数で始めないと精鋭化しないといわれるように、嵐を割り切ってやらないと、要は一人一人の質を高めてサービスの低下にならないようにということで、社員とも話をしているところです。世の中、少子化ですとか、人の関係もだんだん殺伐としてくる側面もある中で、ホテルとして、ひとつの交流の場をご提供していくという、大きな使命があるということを思っております。
杉江正光会員

◎杉江正光会員
 私は、印刷業でございますけれど、社長になったのは昭和53年でございまして、その時は親父が65歳で亡くなりまして、私が後を引き継いだのが35歳の時でございまして、あれから30年。ご多分にもれず、我々の業界も非常に不景気になりまして、何とか前年対比15パーセント減で収まってはおりますが、これは、東京のお客さんが非常に効を奏しまして、岐阜のこの業界では、値段の叩き合いで、もし、東京のお客さんがなかったらどうなるかと・・・・思ったりしております。東京の方も力を入れておりますけれど、最初にそれをやると言ったのは息子でございまして・・・。今、皆さん、後継者がいないとかおっしゃっていましたが、後継者がいたらいたで、またこれも悩み事でございましてね。こういうご時世になりますと、この先、どういう展開になるのか、見当も付かないですね。見当付かないことを息子たちが、どういう見当を付けていくかわかりませんが、私はこれから、去っていく方ですし、息子はこれからやっていく方ですが、今のところはどうしたら良いか、正直さっぱりわからない状況でございます。息子には経営を勉強しろと、あっち行って勉強、こっち行って勉強と言っておりますが、それがなかなか忙しいからやっとれないと言って、なかなか勉強もしておりません。親がそう見ているだけかもしれませんが・・・。もう一つは、我々の年代ですと、何がさっぱりわからないかと申しますと、今はデジタルで、MACというパソコンで、デザインから通信からあらゆることをやっていますから、この辺になりますと、いつも外国に来たような感じですね。私も早く去ったほうがいいかなと、思っております。このままでいけるのかどうかは、私も一番心配ですけれど、若い者に任せるかというような気持ちでいます。親父が亡くなったのが65歳。私が65になったばかりの頃に、脳梗塞をやりまして、入院をしました。たまたま、その年の正月に息子たちに「おまえのおじいちゃんは、64歳で脳血栓で倒れて65歳で亡くなったよ。そろそろおまえも経営の勉強をしないとあかんよ」という話をしていた矢先で、9月に私が脳梗塞で入院しましたから、息子もかなり慌てたようでございました。私はたまたま治っちゃいましたがね。この辺の因縁は何かなと思ったりもします。今のところは、脳梗塞のほうは何の後遺症もなく、むしろ、その頃タバコを一日50本吸っていましたが、すっぱりやめました。そして、水を飲んでいます。それまで山登りをしても、野球をやっても、水は飲むなと教えられてきましたから、ゴルフをやって汗をかいてもあまり水は飲まなかったですね。しかし、それは体には良くないということで、今は、最低1リットル。時には2リットル飲んでいます。そして、朝の散歩1時間、そして夕方20分くらい。トータル最低1万歩以上を歩くということを心がけてやっております。仕事に関しては、私は去る方ですし、デジタル化でよくわかりませんが、とにかく体だけは元気にと思ってやっております。
2008-2009週報/年間行事予定
岐阜エトスロータリークラブ 2008〜2009年度
例会日 毎週月曜日 12:30〜13:30
例会場 岐阜グランドホテル TEL:058- 233-1111
〒502-8567 岐阜市長良648
事務局 〒500-8833 岐阜市神田町2丁目  岐阜商工会議所3F
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会長・尾藤英邦  会長エレクト・竹島武彦  副会長・柳原英三  幹事・田口利満 会報担当・高橋陽一