WEEKLY REPORT
第603号  No.7  2005年8月27日
超我の奉仕

前例会の記録
本日のプログラム
次例会の予定
○8月22日(月) 第602回
○ソング:それでこそロータリー
○行事:卓話
(担当 会長・幹事)
○8月27日(月) 第603回
○行事:トンボ池清掃
(担当 社会奉仕委員会)
○9月5日(土) 第604回
○ソング:君が代・奉仕の理想
○行事:総会(前年決算報告)
(担当 会長・幹事)

会長挨拶 早瀬正英会長
 8月27日7時30分にトンボ池清掃にお集まりいただきますが、同日の8月27日10時30分より武藤会員の選挙事務所開きがございます。各務原の事務所です。皆様是非ご出席ください。

来客紹介 早瀬正英会長  出席報告
岐阜グランドホテル 中島幸宜様
本日のホームクラブ 先々週の補正出席率
  21/27  77.77 %    21/27  77.77 % 

ニコBOX 堀場弘一委員
◇早瀬正英会長
 中島支配人、お忙しい中での卓話をありがとうございます。
◇平松實君
 
武藤容治さんが政界に参加され岐阜エトスロータリーとして大変光栄です。会員全員で、大いに支援協力し、武藤さんの益々のご活躍を祈りましょう。
◇真鍋貞典君
 今回は理屈抜きで勝ち抜きましょう。クラブ全員応援団です。
◇篠田伸実君
 容ちゃんガンバレ!ゴルフ同好会、優勝しちゃった。みんなガンバレ!
◇杉江正光君
 いよいよわがクラブから国会議員を目差して出馬されます。皆で応援しましょう。
◇尾藤英邦君
 武藤容治会員の宿願を期待して!!
◇樫詰庄二君
 66歳、念願のタクラマカン砂漠の横断に挑戦。砂嵐の怖さも体験、古人に敬意。自然の雄大さに感動。
◇田口利満君
 先日のゴルフ同好会で名誉あるブービー賞をいただきました。最近パッドが入らずメガネが悪いと勝手に決め込み、新しくしてみました。
武藤さんの選挙は小生選挙区が違い残念。小生なりに協力しようと思っています。みんなでガンバロー。
◇生信良雄君
 8ヶ月ぶりに孫との再会を楽しみにお盆帰省をしましたが、トイザラスへ連れて行った時だけなついてくれましたが、後は人見知りで、顔を合わせる度に泣かれ、ガッガリでした。
◇高橋陽一君
 お盆休みに突然北海道へ行こうと思い立ち、奥様孝行をしてきました。ウニがとってもおいしかったです。
武藤さん頑張ってください。PS20日のゴルフ同好会参加の皆様暑い中ご苦労様でした。

委員会報告
◆ゴルフ同好会 高橋陽一会員
 8月20日(土)岐阜関カントリークラブ6名の参加で開催いたしました。優勝は篠田伸実さんです。
 次回9月13日。グリーンヒル関で予定しています。

武藤容治会員 挨拶
 まったく予定外でしたが、いろいろと相談しながら、先週の週末くらいに決心したような形です。とにかく国のために働く決意をしました。厳しい選挙になると思います。エトスロータリークラブの皆様がたにはお世話になります。8月27日に各務原市三井町で事務所を開きます。、皆様の暖かい志、ご指導を賜りながら是非いろいろなアドバイスをいただきながらご支援をお願い申し上げまして挨拶といたします。

卓話 中島健治幸宜様 (担当:会長・幹事)
「今グランドホテルが目指すもの」
岐阜グランドホテル 取締役支配人 中島幸宣様
 6月にこちらへ着任いたして2ヶ月ほどたちました。私はもともと岐阜出身で、加納小学校、加納中学校、岐阜高校、早稲田と進みまして、東京で6年ほど東芝EMIグループでレコード製作をしました。その後名鉄へ入社、岐阜グランドホテルなど主にホテルを担当しました。岐阜グランドホテルの後に、名鉄犬山ホテル、それから10年ほど名鉄の本社、4年半ほど東京支社、豊田のホテル新設に向けての準備室の段階から8年ほど岐阜から豊田へ通っておりました。その後2年ほど名鉄グランドホテルを経まして今回岐阜グランドホテルでこうして皆様とご面識を持つことができました。今日はまず岐阜グランドホテルの変遷について、さしあたって日本のホテル史を申し上げまして、岐阜グランドホテルの沿革につなげてお話しさせていただきます。
 皆様ご存知のことも多いかと思いますが、日本のホテル史は大きく分けて3つになります。
1つは、1853年に黒舟が来航しまして、翌年に日米ワシントン条約、4年後に日米修好通商条約が締結され、鎖国から一転して開国を余儀なくされたわけです。その流れで、函館、横浜、長崎が貿易港として設けられまして、当時はひなびた港町のであった横浜ですが外国人の生活様式にマッチした宿泊施設が必要で、外国人の手によって「横浜クラブ」が設立されこれが日本で最初のホテルの開業だということです。その後、時代は明治ですから江戸から東京となりまして、東京には今の大使館にあたります公使館というのがあって、外国人のためにホテルが必要ということで、1868年明治元年に「築地ホテル」というのができまして、日本人の手による最初のホテルということで当時の清水組、今の清水建設さんによる建築でメイドインジャパンの一号ということでした。その後、1870〜1890年代に横浜グランドホテルのちにューグランド、それから箱根の富士屋ホテル、帝国ホテル、日光金谷ホテル、都ホテルなどがこの20年間の間に建てられました。これが第一の節目だそうです。
 第2は戦後、外貨を獲得していかなくてはならないということで、都心を中心にどんどんホテルが建てられました。
 そして第3は何といっても昭和39年の東京オリンピックです。この際には、いわゆる超グランドホテルというものが都心を中心に建ち上がってまいりまして、ニューオオタニですとか、オークラ、パレスなどが建てられたわけです。時を同じくしての岐阜グランドホテルも昭和39年4月にオープンしております。開業にさかのぼりまして4年目の昭和35年ですが、日本経済が大変右肩上がりの時期でした。岐阜では昭和40年に岐阜国体が決まりました。従いましてそれにあわせ、長良川の鵜飼いに来られる観光客の方々のことも含めまして、岐阜市内にグランドホテルがほしいという地元の皆様のほうから政財界を中心に持ち上がりました。また、名鉄としましても将来の展望としてホテル業も視野に入れておりまして、昭和36年に岐阜観光ホテルさんより土地を取得することができました。そして、今皆様方のいらっしゃるこの東館が39年4月にオープンしました。当時は宴会場がここのみ、あとはツインをベースとしました洋室の客室、それだけでしばらくの間運営をしていました。途中43年の頃、別館のお座敷ができました。その後団体のお客様に対応した施設が必要であるという流れになりまして新館ができました。その新館の中に屋内の駐車場、プール、ボーリング場を併設しました。これが昭和48年でございます。48年は経済的激動期でございまして、景気低迷への向かい、その年の10月に第4次中東オイルショックに遭遇したということで、経営的には大変厳しい時代でございました。その後昭和52年にボーリング場の跡地を展示会場にいたしまして、アパレル関係を中心に大変ご支持をいただきまして、それから何とか岐阜グランドホテルはやってこれたということでございます。ご承知の通り、バブル崩壊後、又厳しい局面に入っております。今年に関しては、万博効果ということでご宿泊のお客様を中心に何とかいい状態できています。私共としましては、今直面しておりますのは、ポスト万博。いずれにしましても中部圏への観光客の方々の流れは手控え傾向に入っていくと思われております。地域に密着したホテルとしまして皆様に如何に支えていただくか、私共もそれに向けて一生懸命努力いたします。どうか新岐阜百貨店の二の舞いならないようご支援をお願いします。私も岐阜に参りましてずいぶん様変わりしたなあという感をもっております。百貨店は次々に閉店になり、市内線も廃止され、子どもの頃の原風景はなくなってしました。私共観光業を営むものとして新しい観光資源を生み出していかなくてはいけないと強く感じております。
 大変貴重なお時間をいただきまして、どうもありがとうございました。

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岐阜エトスロータリークラブ 2005〜2006年度
例会日 毎週月曜日 12:30〜13:30
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〒502-8567 岐阜市長良648
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会長・早瀬正英  会長エレクト・副会長・高橋陽一  幹事・園部貴敏  会報委員長・杉江正光