WEEKLY REPORT
第592号  No.37  2005年5月29日
ロータリーを祝おう

本日のプログラム
前例会の記録
次例会の予定

○5月29日(日) 第592回
○ソング:
○行事:新緑例会・愛知万博
(担当 出席・親睦)

○5月23日(月) 第591回
○ソング:それでこそロータリー
○行事:内部卓話
篠田会員・早瀬会員
(担当 R情報)

○6月6日(月) 第593回
○ソング:君が代・奉仕の理想
○行事:総会
次年度事業計画・予算案
(担当 会長・幹事)



会長挨拶 杉江正光会長

皆様、こんにちは。昨日は自宅でゆっくりと女子ゴルフの中継を見ておりました。宮里藍が先週に続き、連続優勝を飾りました。プレーオフはテレビで見ていても緊張感が伝わってくるようでした。わずか19才にして、本当にすごいなと感心してしまいました。
さて、本日は内部卓話ということで、篠田さんと早瀬さんにお願いしております。篠田さんは若い時の海外での経験などを交えてお話が聞けるものと楽しみにしております。よろしくお願い致します。

いよいよ今週の土曜日にはオバイドル君と子ども達が来日いたします。BOXに日程の用紙を入れておきましたが、会員の皆様で分担してお世話の方をお願いしたいと思っております。子どもさんのことも考えて、のんびりとした日程でいきたいと考えておりますので、ご協力をお願い致します。
万博も多数ご参加いただけるようで、楽しみにしておりますので、親睦委員会の皆様、よろしくお願いします。


来客紹介 出席報告
 
本日のホームクラブ 先々週の補正出席率

  18/26  69.23 % 

  20/26  76.92 % 

ニコBOX

杉江正光会長
いよいよオバイドルさんと子ども2人が今週金曜日に来日します。皆様ご協力の程お願いします。
早瀬正英
尾藤さん、先週はありがとうございました。
真鍋貞典
今日のように初夏の日差しが強いと、長良のアユチャンが太く硬いサオを引っ下げて遊びにおいでと呼んでいるような気がしてうきうきしてしまいます。本番は6月15日の郡上解禁からとなります。それまでサオを磨いて我慢の日々です。
生信良雄
21、22日とグリーンヒル関ゴルフクラブ同好会の旅行で名門川奈でプレーしてきました。久しぶりのコーライ芝と名物アリソンバンカーにたっぷりいじめられてきました。

森三智也
今期の例会も残り少なくなりました。先日は杉江会長、大変お世話になりました。そして岩村さんもお世話になりました。

寺田 稔
このたび、岐阜県小売酒販売組合連合会および岐阜県酒販売協同組合連合会の会長を仰せつかりました。厳しい業界でありますが、なんとか頑張ってまいりたいと思います。


委員会報告

◆国際奉仕委員会:日比委員長
いよいよ、今週の土曜日にオバイドル君と子ども達が来日します。前例会では金曜の朝と申し上げましたが、正確には5月28日の土曜日の早朝でございました。訂正させていただきます。日程に関しましては、こちらの方で分担させていただきました。また、今回の費用につきましては、100周年記念事業特別会計の方から70万円、国際奉仕委員会予算から10万円、計80万円をいただくことになっております。そのうち半分は旅行費用としてオバイドル君が立替えてくださっている分にあて、残りはこちらでの滞在費用にあてるつもりですので、お世話していただく会員の方は領収証をとっていただき、こちらに請求してください。また、写真を残していただきたいと思いますので、ご協力をお願い致します。


内部卓話  (担当 新世代)

◆篠田会員
今期は出席率が悪くて、皆様には申し訳なく思っておりますが、けっしてロータリーを嫌いになったわけではありません。今日は、せっかくですのでその言い訳をさせていただこうと思っております。
皆様にお配りしました黄色のパンフレットをご覧ください。皆様、ご存知のとおり、私は電気工事、空調関係の仕事をしております。しかしながら、この業界は大きな仕事をすればするほど赤字となり、利益が出ないのです。世の中は景気が徐々に回復傾向にあるといっていますが、まったく回復の兆しはみられません。
そこで、昨年、会長という役職を勤め上げたあと、そのパンフにあるようなコインランドリーの仕事を始めたのです。現在、250ヶ所に設置し、営業しております。一般に、ビジネスというものは、1ヵ所を拠点に行うものですが、これは移動ができ、10坪もあれば営業できます。私の場合は、税理士さんのラインで、相続税対策として営業しています。これまでは、アパート経営などが主流でしたが、これは新築したばかりのときはいいのですが、10年も経てば住居率も下がり、維持していくのが困難になり、かえって負担となってしまう場合があります。その点、コインランドリーの場合はその土地の評価額の8割減で節税になりますし、何年か後に使用するとなれば移動できます。岐阜でも8ヶ所に設置しておりますが、みな借地に設置しております。もう一つは経常利益のある企業がリースで設置し、損金として落とし、法人税を下げ節税対策とするものです。
先日、オープンしたところでは、ちょうど冬物をしまう時期だったため、毛布などを持った人たちで行列ができました。コインランドリーという100円玉を扱う小さな商売ですが、洗濯という日常に密着したものであること、気楽に始められ、人件費も要らない、そして簡単に移動できるという様々なメリットがあるということで、増えつづけています。
銀行もバックアップしてくれますし、2000万円ほどの資金で始められますので、ビジネスを始めたいという方がおみえでしたらお声をかけてください。
もう一つ、お配りさせていただきました、「月刊ぎふ」という雑誌に「地図のない旅」と題した私のエッセイが載っております。ひょんなことから、若かりしころの体験をこうして書くことになったのです。かれこれ30年ほど前になりますが、リュックと寝袋を持って、横浜から船でソビエトに渡り、1年間ヨーロッパを旅しました。30万円を手にして出発しましたが、帰国したときには手元に4万円残っておりました。毎日パンとコーラで過ごし、1週間に一度缶詰を買って食べていました。そんな体験談を綴った、お粗末な文章ですが、たまに読んだ方が声をかけてくださったり、お手紙をいただいたりすると嬉しいものです。また、始めは恥ずかしくて、宣伝もできませんでしたが、慣れというのは恐ろしいもので、今ではこうして皆様に紹介している次第です。本当は文章にできないような話がおもしろいのですが、それはまた機会があればご紹介させていただきます。

◆早瀬会員
今日は笠松病院の歴史についてお話させていただこうと思います。院長は山本といい、一族で経営する病院なのですが、なぜ笠松病院と名付けたのでしょうか。当初は、木曽川の堤防、名鉄の鉄橋のすぐそばにありました。当時の院長の山本タキという人は、軍医で戦後追放されたため、開業したということです。はじめは、小さな診療所でしたが、昭和30年に病院となりました。軍医ということで、腕がたち手術もうまいという評判が広がり、一宮など遠くからも患者さんがみえました。彼の父親、山本誠之助さんは、人徳者であったこともあり、町長にもなったような方で武藤嘉文さんとも古い付き合いだということです。
その後、昭和43年には笠松の相生町に病院を新築しましたが、大きな病院が少なかったこともあって、毎日救急車が絶えないほどの忙しさでした。そのうち、国の政策として堤防道路を造るということで、立ち退きを強いられ、反対運動もしましたが、やむを得ず移転することとなりました。
そして、昭和63年5月に、岐阜の中鶉に老人施設をもつ病院が誕生しました。当初は病院の中に設置しておりましたが、その後、病院の横に施設を設置することとなったわけです。
山本タキさんという方は、現在は故人となられましたが、羽島郡の医師会会長を務められ、昭和37年に岐阜南RCに入会、昭和49年には初代の東南RC会長を務められました。軍人だったこともあり、上下関係には厳しい方だったと聞いております。
鶉地区も当初は病院の周りは田んぼばかりでしたが、環状線が通り、現在ではマンションやアパートが増え、いい環境になりました。木曽川にあったときは、私はまだ銀行員でしたがときどき懐かしく思うときがあります。


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岐阜エトスロータリークラブ
例会日 毎週月曜日 12:30〜13:30
例会場 岐阜グランドホテル TEL:058- 233-1111
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会長・杉江正光  会長エレクト・副会長・早瀬正英  幹事 大野茂夫   会報委員長・森三智也