WEEKLY REPORT
第590号  No.35  2005年5月16日
ロータリーを祝おう

本日のプログラム
前例会の記録
次例会の予定

○5月16日(月) 第590回
○ソング:我等の生業
○行事:内部卓話
樫詰会員・横山会員
(担当 R財団)

○5月9日(月) 第589回
○ソング:君が代・奉仕の理想
○行事:内部卓話
真鍋会員・平松会員
(担当 R情報)

○5月23日(月) 第591回
○ソング:それでこそロータリー
○行事:内部卓話
(担当 R情報)



会長挨拶 杉江正光会長

皆様、こんにちは。大型連休はいかがでしたか。私も7連休でございましたが、そのうちの5日間は山へ芝刈りに行っておりました。そのあと、お腹のあたりが筋肉痛で家で休んでおりました。健康のためとはいえ、やりすぎには注意だなと実感いたしました。
さて、今期の例会も残すところ8回となりました。そのうち今月の29日には愛知万博での新緑例会、そして6月11日には献血例会と大きな行事が残っております。さらにトンボ池の看板の除幕式を献血例会のあとに行いたいと思いますので、ご参加をお願い致します。愛知万博への参加者は今のところ、48名と聞いております。オバイドル君たちやシーラ夫妻、張青さん、中日新聞の記者1名も同行される予定ですので、楽しみにしていてください。
○栗林会員へ2630地区ガバナーより委嘱状
○張青さんへ今月のお小遣い


来客紹介 出席報告
張 青さん (米山奨学生)
本日のホームクラブ 先々週の補正出席率

  18/26  69.23 % 

  18/26  69.23 % 

慶祝行事 生信出席・親睦委員長
会員誕生日 生信良雄、横山栄祐
夫人誕生日 横山朝子様
結婚記念日 田口利満、生信良雄、高橋陽一、柳原英三、堀井利通、武藤容治

ニコBOX

杉江正光会長
先日、森さんありがとうございました。今期の例会も残すところ8回です。皆様よろしく御協力の程お願い致します。
大野茂夫
前例会は失礼しました。特に園部さんにはご面倒お掛けしました。
広江武典
岐阜大学客員教授としての初講義が無事終わりました。5月25日には岐阜大学の先生方を対象にして著作権法の講義を行うことになりました。準備が大変です。

武藤容治
パット病に悩まされ、コンペで5パットも含めて45もたたいちゃいました。心掛けがいいと拾う神ありでふたを開ければハンディ24も頂けて準優勝でした。最後まであきらめてはいけない貴重な教訓でした。
真鍋貞典
昨日は県歯科医師会の障害者診療所へ出張してきました。すずめの涙ほどの給金をもらいましたので少しですが。
尾藤英邦
昨日は岐阜地区RC謡曲会で大野さんのお兄さんと一緒に「班女」を謡いました。会で5名の芸妓さんとの対応がうれしかったです。
生信良雄
5月14日でついに65才になります。だんだん残り少ない感じで誕生日もうれしさ半分です。
森三智也
アカシヤが満開となりました。杉江さんすばらしいゴルフを見せて下さってお疲れさんでした。

寺田 稔
前回の例会時に杉江会長の挨拶の中でふられた、尼ヶ崎の鉄道事故、人災という言葉でかたづけられない大惨事。原因究明も大切ですが、このようなことが二度と起こらないような全社あげての取り組みを望むとともに、亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。


委員会報告
◆園部次期幹事
先日もご連絡させていただきましたが、次期合同委員長会を明日10日に行いたいと思いますのでよろしくお願い致します。また、委員会の運営計画の提出の方もよろしくお願い致します。

内部卓話  (担当 新世代)

◆真鍋会員
今日は釣りの話ではなく、私の生い立ちについてお話させていただき、少しでも私のことを理解していただければと思います。私は昭和25年6月10日、鏡島で生まれました。合渡橋の近くでしたので、当時まだ木の橋を恐々渡ったのを覚えています。川が近く水辺でよく遊んでいたせいもあって、現在の釣り好きに至ったのだろうと思います。小学校にはもちろんプールもなく、川で泳いでいました。大人がロープを引っ張ってくれて、その中で泳ぐように言われていましたが、同級生が一人溺れて死んでしまったことは忘れられません。
中学は精華中学に通いましたが、当時は生徒数も少なく、鏡島と市橋の小学校の生徒が集まっていました。中学時代で一番忘れられない事件があります。三年生の夏休みの補習授業のときに、私が中心となり、国語の授業をさぼってサッカー部の試合の応援に行ってしまったことです。その後、それが大事となり、職員室に呼び出されてお説教を受けました。その時先生に、「自分の立場をよく考えて行動しろ。」と言われ、反省したことを覚えています。
高校は進学校に進み、それなりに勉強しておりました。そして大学は歯学部へ入り、名古屋へ通っておりました。歯学部は勉強もさることながら、指先の技術の習得が大切ですので、5、6年には実習、実習の毎日になり、遅くなったときなどは友達の下宿に泊めてもらうこともありました。お陰さまで国家試験も一発で受かり、歯医者になることができました。
私が卒業した時代は、歯医者にとっていい時代から下降気味になりつつあるころでしたが、まだ歯医者の数も少なく、患者さん獲得にも苦労しませんでした。我々の10年先輩の時代が一番いい時代であったと聞いています。私は昭和57年に開業しましたが、開業して1ヶ月も経たないうちに母親を亡くしました。病院のベットの上でも私のことを心配してくれていたと知って、親孝行らしいことができなかったことが今でも悔やまれます。
ただ、私の唯一の自慢は開業してこのかた、診療を急に休んだのは一度しかないということです。尿結石でどうにもならなくなり、休んだことはありますが、多少体調が悪くても診療を休むということはありませんでした。少し前になりますが、指先が震え、体重も減少したことがありました。皆様にもご心配をおかけしたようですが、甲状腺の機能こうしん症という病気でした。私もどうなるか不安でしたが、幸いいいお医者さまに診ていただき、薬を飲むとすぐによくなりました。お陰さまで今もこうして診療を続けていられることに感謝している毎日です。
◆平松会員
私はエトスでも一番長寿になります。喜寿を迎え、77才になりました。そんな私が何を話そうか迷いましたが、やはり職業上、海外へ出向くことが多かったのでそのお話をしたいと思います。
私は35才からこの仕事に就き、海外を周っておりました。特にアラスカ・アンカレッジ経由で北極をまたぎヨーロッパへという海外ロケが多くありました。当時はまだ、国際線が羽田からで、何時間もかかってイタリアやフランスへ出掛けておりました。今日はその中でもイタリアの話を中心にしたいと思います。
イタリアというと、なぜかロケがスムーズにいった記憶がなく、トラブルに見舞われてばかりいました。まず、一つはローマのダヴィンチ空港に到着し、降りようとしたとき機内アナウンスで「空港内でストライキを起こしているので、自分の荷物は自分で持って降りて下さい。」というのです。女性の乗客もいたので、暗い中を皆で手伝いながら下ろしました。
フィレンツェは岐阜と姉妹提携をしているので、その関係からも仕事の依頼がよくあるのですが、伊奈波中学とフィレンツェの中学とのキューピット役の仕事も何度もありました。そのときにも、待ち合わせ場所を間違えて大変な思いをしたこともありましたし、ホテルのオーバーブッキングなどのトラブルもありました。
また、雑誌の仕事でイタリアの有名な広場でモデルを使っての撮影をしようとしていたところ、市役所からストップがかかり、撮影がだめになったこともありました。スポンサーのこともあるので、交渉したのですが広場での撮影は世界的に許可していないということで、急きょ市役所の2階で行うことになったのです。しかし、市役所の2階といっても、いくつもの銅像が並べられ、立派なものだったので、とりあえずそこで撮影を終えました。
昨年、初めて家内を連れてイタリアを訪問しましたが、40℃を超える異常気象のときで、とても外を歩けるような状況ではありません。ヴェニスや蒼い壁なども訪れましたが、ふらふらの状態でした。本当にイタリアに関しては恵まれない思い出ばかりです。


週報トップへ
岐阜エトスロータリークラブ
例会日 毎週月曜日 12:30〜13:30
例会場 岐阜グランドホテル TEL:058- 233-1111
〒502-8567 岐阜市長良648
事務局 〒500-8833 岐阜市神田町2丁目  岐阜商工会議所3F
TEL:058-264-9235  Email:ethos@newsclub.ne.jp

会長・杉江正光  会長エレクト・副会長・早瀬正英  幹事 大野茂夫   会報委員長・森三智也