○3月28日(月) 第584回○ソング:それでこそロータリー○行事:会長エレクトセミナー報告 (担当 会長エレクト)
○3月14日(月) 第583回○ソング:我等の生業○行事:内部卓話田口会員・竹島会員 (担当 社会奉仕)
○4月4日(月) 第585回○ソング:君が代・奉仕の理想○行事:地区協議会報告 (担当 会長・幹事)
皆様、こんにちは。このような鼻声でお聞き苦しいかと思いますがお許しください。第1週の金、土、日と台北サンシャインクラブの方へ行き、ほっとしたのも束の間、先週の木曜から日曜日にかけソウルとチェジュ島の方へ行ってまいりました。とても寒くてどうもその後から体調を崩してしまったようです。チェジュ島では初めて境界線まで行き、何ともいえない緊張感を味わいました。軍隊もテコンドーンのような格好をしており、常に警備をしていました。大変貴重な経験ができたと思っております。 今日の内部卓話は田口さんと竹島さんとなっております。後程、よろしくお願いします。 柳原会員にポールハリスフェロー賞の表彰
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◇広江武典 4月から岐阜大学の客員教授に就任することになりました。若い学生に知的財産権法の講義を行います。いままでの知識や経験をうまく伝えられることができればと思います。 ◇寺田 稔 ニコBOX投函が少ないので責任を感じてます。 ◇園部貴敏 我家の春が一歩近づきました。初代青少年の長男、陽一郎が第一志望の名古屋市立大学の芸術工学部に合格しました。涙々の感激のおすそわけです。追伸、私はどういうわけか?2週連続のホールインワン。これも三男の高校受験の良いサインであればと願っております。 ◇日比正子 台北へご参加の皆様、お疲れ様でした。子弟交換で来た幼いニュートンがかっこいい少年になって見送りにきてくれ、嬉しかったです。 ◇武藤容治 委員長からご指名ですので発表の当番となりました。
◆田口会員卓話 会社の話といいましても、大したお話はできませんが、我が社は親父の代の昭和21年に岐阜で商売を始めました。私も学校を卒業後、仕事を手伝うようになりました。父は59歳の時に「60歳になったら自分は仕事をやめる。」と言っておりました。私は冗談だと思っておりましたら、ある日突然顔を出さなくなり、本当に60歳になったからもう事務所にも行かないのだと言い、その時初めて本気だったのだとわかった次第でした。 最近の住宅は建売が増え、買うという感覚になってきましたが、私の考えとしては建物は造るという感覚でおり、注文住宅にこだわっています。会員の皆様にも、お世話になっており大変感謝しております。 仕事の話はそのくらいにして、今日はある本についてお話したいと思います。「養生訓」というものですが、これは俳句になっているものと、中国の古事からなるものと2種類あります。これは、戦国の武将のために書かれた養生訓で、曲直瀬道三(まなせどうさん)という医師がかいたものだそうです。1507年に生まれ、戦国の時代を生きた人であり、この時代の権力者達を診てきたといわれています。武将が自分の身体を見せるということはよほど信頼されていた人なのだろうと思われます。 資料の方に、いくつか紹介させていただきましたが、今の時代でも通用するようなことがいくつかありますし、女性から子供の体のこと等についても書かれています。 これを読んで、少しでも養生していただければとご紹介させていただきました。 ◆竹島会員卓話 私の職業についてお話させていただきます。私は左官業を営んでおりますが、今の若い人は左官って何という人も多いのではないでしょうか。 今、うちに来ている若い者で、以前パン工場に勤めていたものがおります。その人は工場で私が仕事をしているのを見て、おもしろそうだと思い、トラックに書いてあった看板を覚えていて連絡してきました。なぜ、パン工場が嫌になったかというと、工場の中でいつも同じ作業をするのが嫌になったというのです。それに比べ、この仕事は現場仕事であちこちするのでおもしろそうだと思ったようです。私は3ヶ月は見習いとして扱い、日給でしか支払えないし一年間夏の暑さ、冬の寒さに耐えられるか様子をみると伝えました。今のところ頑張って、なんとか続いております。 この業界も技術のいる仕事ですので、昔は仕事量が多かったのですが、建築事情が変わり、外も内も張り物が増えたため仕事が減ってしまいました。けれども、我々のような左官の技術を持つ者は他の仕事でも使い手があるのです。ボード張りを大工さんと一緒に行ったり、補修を行ったり、造園の分野でもブロックやレンガ張りに役立ったりします。そのような細かい仕事ができるので、損はないと思っています。また、我々のやっているところを見ると、簡単そうで自分たちにもできるような気になるようですが、実際、道具を貸してやらせてみると結局できなくて助けを求めてくるのです。 1970年頃には385000人ほどいた左官屋も今は185000人くらいだと言われています。中には農業と兼業で行っているような人もいるので、正確な数字ではありませんが、人も仕事量も半分くらいになっているということです。仕事の値段も昔はこちらが見積もりを出していましたが、最近では相手からこれだけでやってほしいという言い値になってきました。 また、今の建築に携わる人は頭でっかちの人が増え、現場を踏んでいない人が多いので、我々職人にとってはやりにくくなりました。 今のご時世、どんな商売も厳しいと思いますが、私も今さら他の仕事はできないと考えています。後継者についても考えないことはありませんが、自分の子供達はサラリーマンになっていますし、今うちにいる若い者がやる気があればと思っています。しかし、今の若い者は覚えようという根性がありませんし、昔なら5年も修行すれば、一つの現場をまかされたものですが、とても今の子ではできません。昔なら60kgの袋を二つも抱えて歩いていたものが、今の子は材料も軽量化されて楽なはずですが、25kgの袋を持っただけでフラフラしています。 自分の代で終っても仕方ないかとも思っている今日この頃ですが、現代の若者に技術を教え、一人前にすることの難しさを痛感しました。しかしながら、近年の建築方法や材料が簡単で便利になりすぎていることにも原因があるのではないかと思っています。
会長・杉江正光 会長エレクト・副会長・早瀬正英 幹事 大野茂夫 会報委員長・森三智也