○11月29日(月) 第571回○ソング:手に手つないで○行事:卓話(担当 会報・クラブ歴史 )
○11月15日(月) 第570回○ソング:それでこそロータリー○行事:卓話(担当 ニコボックス )
○12月6日(月) 第572回○ソング:君が代・奉仕の理想○行事:総会(次年度理事・役員発表) (担当 会長・幹事)
皆様、こんにちは。先日、開催されました2630地区地区大会に参加してくださいました12名の皆様、ご苦労さまでした。私の思い違いで、当クラブは初日を例会変更としましたが、2日目を例会変更とするクラブが多く、2日目にクラブの紹介がされました。申し訳ありませんでした。 初日のパネルディスカッションでは、ロータリーをどう思っているかという○×式でアンケートが行われました。あなたのクラブは活性化していると思いますかという質問に対しては、○が40%、△が50%、×が10%という結果でした。また、ロータリアンであることを誇りに思うかという質問には、○が75%、△が20%、×が5%でした。ロータリーの原点、親睦と職業奉仕について尊重すべきであるかという質問には○が95%、△が4%、×が1%、最後にあなたはロータリーを続けたいですかという質問では、○が80%、△15%、×が5%という結果でありました。最初の質問である活性化しているかという問いに対して、過半数に満てないという結果にこれが今のロータリーの現実なのかと残念でしたが、実は私もまだまだ会長としてリーダーシップが取れていないという思いから△にしました。皆様のお力をお借りして、クラブの活性化に努めていきたいと思いますので、ご協力をお願い致します。 その席で、RI会長賞の表彰が行われ、80クラブ中17クラブが受賞し、当クラブも昨年の功績が認められ受賞することができました。篠田パスト会長はじめ、前執行部の方々の努力の成果だと思います。 最後に私の提案でありました、会員をもっと知るために名簿を作ろうという案が、先日の理事会で承認されました。一人1ページ使って、紹介していきたいと思います。ご協力お願い致します。 陳さん挨拶 皆様、お久しぶりです。今、私は研究員として岐阜に来ています。3月で期限が切れ、上海に戻る予定なので今日、皆さんに会いにきました。上海にいらしたときはご連絡ください。
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◇杉江正光会長・大野茂夫幹事 先日の地区大会へのご出席ご苦労さまでした。 ◇広江武典 ボジョレヌーボーが楽しみです。 ◇早瀬正英 和倉温泉で一泊、病院の女性たちに飲まされ、早々と寝つき何もありません。 ◇武藤容治 お陰様で今年の目標でありましたハンディキャップ5を達成しました。仕事の方がうまくいきませんが、遊びだとうまくいんですね!? ◇真鍋貞典 岩村さん、いろいろお気遣い頂きましてありがとうございます。尾藤さん、18日は御無理をお願いします。よろしくお願いします。 ◇尾藤英邦 紀宮様おめでとうございます。私の娘もしあわせをつかんで欲しいものです。 ◇日比正子 暗い話題の多い昨今、紀宮様の御結婚内定のニュースは嬉しいことですね! ◇寺田 稔 先週、妻と一緒に信州、高遠町へテニス旅行に行ってまいりました。家内安全。
◆R情報委員会:真鍋委員 IGMの連絡をさせていただきます。11月18日(木)、グランドホテルにおいて、テーマは「楽しいロータリークラブにしよう。会員をもっと知ろう。」ということで行います。リーダーは尾藤さん、委員会から、真鍋、役員からは大野幹事、出席義務者は堀井さんと柳原さんの5名の予定です。よろしくお願い致します。 ◆米山・R財団:尾藤委員 R財団、米山奨学会の寄付金の振込みの件でしが、半数ほどの方が未納となっております。ご協力お願い致します。
◎生信良雄会員 今日は、最近読んだ本の紹介をさせていただきたいと思います。今、いろんな方面で中国の進出が目立ち、急激な経済成長を見せておりますが、そんな中で唐津一さんという方がここにある「中国は日本を追い抜けない」という本を書かれました。とても読みやすい本でしたので、一度お読みいただきたいと思います。 著者である唐津一さんは、1919年旧満州で生まれ、東大工学部を卒業ご、逓信省電気試験所を経て電電公社に入社されました。1961年には松下電信工業に移り、1986年に東海大学開発技術研究所教授となり、1998年より東海大学教授となられたという経歴の持ち主であります。 私の前の職場での中国との関わり、先日の職場例会で見学した松原特別代表の会社「光製作所」の業績や松原代表の中国に対する考え方をお聞きしたこともきかっけでありますし、製造業の海外進出に対するマスコミなどで報じられる日本の製造業の空洞化、日本市場にあふれる安価な中国製品などから、日本の製造業は「中国に負けてしまうのでは」 との疑問に対する応えが見つかるかもしれないと思い、日経でこの本の紹介があったので購入して読んでみました。 私自身は、個人的に製造業の面ではあまり中国に好感情を持っていない方なので、データを元に明快に、また読みやすく書かれた本書を読んで気持ちが落ち着きました。 内容につきましては、結論からいうと製造業の部門で中国は日本に追いつけないし、空洞化の心配も杞憂であるということでした。日本人の大多数が「日本のものづくり」を知らないこと。国民のみならず、エコノミスト、知識人、マスメディアまでがその力を認識していないということをデータから説明されていました。 更に、日本には世界一の産業が無数にある。にもかかわらず「日本ダメ論」を吹聴するものづくりを知らない知識人、悲観論を掲載すれば売れると信じているマスコミ、そして悲しい話がなぜか好きな国民、この組合せが日本の製造業を誤解のもとに置かせていると説明しています。そして、日本の製造業は少なくとも20〜30年は大丈夫、本音では100年は大丈夫だと本の中で言っています。 また、日本で氾濫している中国製品は消費財といわれるもので、安価なものが多いのは当然であること。中国は人口も多く、広いことから日本にすれば絶好の市場であり、「そば屋の出前持ち」のようにお客さんのいるところで作るのか望ましいのである。ユーザーがいるその現場で作り、売るのが効率的だということです。自動車のアメリカで走っている日本車のほとんどはアメリカで造られているそうです。 また、日本人の国民性もあり、好奇心が旺盛で真面目な日本人はクレームを糧にして改良、改善をするので、外国で発明された製品でも自分達で改良できる技術も持っている。そして、TQCやマネージメントにも優れており、集団で勉強したり、自分の仕事以外でもこなしたりできるというところは外国人には真似できないところである。また、日本のものづくりに関しては、日本にしかできないものをまだ外へ出していないというところがある。製造機械、工作機械についても日本の製品は外国に比べ精度がよく、日本人にしか造れないものであります。だれにでも作れるといものを中国で作らせているのだと言っています。 最後にこれは私の私見ですが、このような本を読んでも心配なことはあります。教育の問題、雇用制度の崩れから会社に対する忠誠心、フリーターの増加、ブルーカラー離れ等、日本も変わりつつある中、このような状況がどこまで続くのか心配ではあります。 しかし、私の前の職場であります造船業に関しては、2000年前に韓国に抜かれましたが、ここに来て盛り返したそうです。それは職員を減らし、コスト削減、効率化を徹底した成果だと思います。 ◎森三智也会員 今日は私の道楽であります「美術刀剣の楽しみ方」についてお話させていただきます。博物館や美術館で資料を集めて過去の遺物に思いをめぐらせているうちは趣味のうちといえるでしょう。昭和30〜40年代に起きた日本刀ブームで好きで集められた方も高齢になり、やがてご家族の方々も手放すことが多いと思われます。書画や茶器類とは同じ遺品であっても一線を画するのが日本刀のようです。市場に出回った日本刀を買われる方も年々減り、美術刀剣も年々安くなる方向にあります。今好きで買っておられる方は道楽としか言いようがありません。 さて、ここに取り出した刀は二尺四寸五厘の備前長船祐定です。刃文はレジメ次表のどれにあたるでしょうか。一見互の目(ぐのめ)刃のように見えますが、実は丁子刃(ちょうじば)、蟹爪形の丁子刃です。刃文というのは刀匠が焼き刃をわたして付いたもので、白く光ってみえる部分は刀研師(とぎし)が刃光沢(はづや)で刃部を明るく乱反射させたものです。研師は拭い(酸化鉄粉末を油でといだもの)で地を黒くし、刃光沢で刃を明るくする作業をしますので、こんなに華やいで見えるものとなります。 鉄器製造は、奈良時代から始まっているといわれますが、オリジナルな鎬造り(しのぎづくり)日本刀が造られはじめたのはB.C1000年前後ではないかと思います。(私見) まずは鉄の産地を追って砂鉄のとれる伯耆大原や奥州舞草から始まり、たたらによる玉鋼(たまはがね)の生産量が増大するにつれて松炭が容易に手に入る消費地近くに移っていったと思われます。さらに後鳥羽天皇時代から(1184年)十二番鍛冶などが始まり、朝廷から守(かみ)を与えられたり、大名から橡を与えられて、大消費地近くに刀匠が移り住んだものと思われます。 馬上で大鎧を着て騎馬戦をしていた時代は刀は長寸の太刀でした。その後、馬上で槍を持つようになりますと馬上からは大太刀よりも槍の方が便利と分かり、太刀も二尺二寸前後の短いものと変わりました。手打太刀となり、歩兵用です。やがて江戸期に入り、慶長新刀の時代を迎えますと反りの浅い身幅に変化のない豪壮な刀姿へと変わります。寛永(1630年頃)になって幕府より刀の長さが規定され、二尺三寸前後の守寸刀となります。 二号刀は二尺二寸六分の紀州(和歌山)石堂系の刀です。匂口(においくち)がよくしまった足長の丁子刃を焼いております。沸匂(にえにおい)というのは焼刃を造る時にできたマルテンサイトのことで、粒の荒いのを沸、細かいのを匂といいます。マルテンサイトは焼入れのときの刀の熱せられた温度、冷却する水の温度、置刃土の置き方や成分によりその粒の大きさが変わるそうです。置刃土は粘土、荒砥石粉末・松炭粉末を混ぜたものです。 やがて、たたらの一律なる生産とともに全国に同じ玉鋼が出回るようになり、寛文新刀では鏡のごとく美しい地肌となり、その後、明和(1764年)より古刀写しの長寸の刀、反りの深い刀、地肌が古刀風となる刀が出てくるようになり、新々刀時代となります。 以上、レジメの6番までご説明して、後は次回とさせて戴きます。ご清聴ありがとうございました。
会長・杉江正光 会長エレクト・副会長・早瀬正英 幹事 大野茂夫 会報委員長・森三智也