WEEKLY REPORT
第539号  No.28  2004年3月8日
手を貸そう       "Lend a Hand"

本日のプログラム
前例会の記録
次例会の予定

○3月8日(月) 第539回 
○ソング:それでこそロータリー
○行事:内部卓話
(担当 職業奉仕)

○3月1日(月) 第538回 
○ソング:君が代・奉仕の理想
○行事:内部卓話
わたしの道楽
(担当 会報・クラブ歴史)

○3月15日(月) 第540回 
○ソング:手に手つないで
○行事:内部卓話
(担当 社会奉仕)



会長挨拶 篠田伸実会長

皆様、こんにちは。暖かい日があったり、寒い日ががあったりと体調を崩しやすい時でございます。お体には充分お気をつけください。
今日、アカデミー賞の授賞式をテレビで中継しておりました。世界の大スターが一同に揃い、華やかさがテレビからも伝わってくるようでした。
今回のアカデミー賞では日本の俳優渡辺謙が「ラストサムライ」で助演男優賞を獲るかどうかということで大変騒がれておりましたが、残念ながら獲得することはできませんでした。しかし、日本の俳優がノミネートされただけでも素晴らしいことだと思っております。また、外国語映画賞では「たそがれ清兵衛」もノミネートされ、日本映画に対する評価もだいぶ上がってきているなと思いました。
渡辺謙といえば、国内では離婚訴訟で泥沼化しているとマスコミを騒がして脚光を浴び、かたやアカデミー賞で脚光を浴びると言う両極端の経験をしたといえるのではないでしょうか。しかし、その経験がまた彼の俳優としての幅を広げていくんではないかと思ったりもしました。
さて、本日はクラブ歴史担当の内部卓話となっており、後藤会員に「わたしの道楽」というテーマでお話していただきます。大変楽しみにしておりますので、よろしくお願い致します。私は個人的に後藤先生のところの事務所報を郵送してもらい、読ませていただいております。内容が意味のある分かりやすい文章で、大変勉強になるので、ずっと読ませていただいているのです。私もエッセーを書いていますが、文章や文字というものは言ったこととは違い残っていくものなので、神経を使いますし、書いたあと疲労感が残ります。ですから先生の文才は素晴らしいなと思いますし、私ももっと勉強しなくてはいけないなとつくづく思います。
自分の才能に気付き、それを大切にして生かしていくことができたらいいですね。


来客紹介 出席報告
本日のホームクラブ 先々週の補正出席率

 21/29  72.41% 

  23/29  79.31%

慶祝行事 森出席・親睦委員長

会員誕生日 高橋陽一
夫人誕生日 早瀬宏子・寺田勝子
    (敬称略)      


ニコBOX 広江委員
全員投函
慶祝行事にて

篠田伸実
田下君、久しぶり。元気そうでなによりです。森さん写真ありがとう。なつかしい思い出です。

高橋陽一
先週、来週と欠席します。会長、副幹事、会員の皆様には迷惑をかけますがよろしくお願いします。又今日は47才の誕生祝ありがとうございました。エトスの平均年令かと思います。今後ともよろしく。

武藤容治
ニギリのとられついでで、ヤケクソでニコします。尾藤さんコーヒーごちそう様でした。

後藤昌弘
今日はお耳を汚させていただきます。悪しからず。

田下 篤
今日からお世話になります新入会員です。いつまで続くかわかりませんけど宜しく。

園部貴敏
短期子弟交換第1号で皆様のお世話になりました長男の陽一郎が今日高校の卒業式に出ています。なんと皆勤賞をもらうそうです。我子ながらなかなか立派と感心しています。
榎本光伸
後藤先生、いろいろ御助言御助力を頂き誠にありがとうございました。今後ともよろしくお願い致します。

尾藤英邦
この所忙しい思いをしています。体調は酒を飲んでも回復しない年になってしまいました。

委員会報告

内部卓話 「わたしの道楽」  (担当 クラブ歴史) 

◎後藤昌弘会員
10日程前に卓話の依頼を受け、何を話そうかと考えましたが、今日は本職とは違う「戦艦大和」についてお話させていただこうと思っています。
実は、私は石川官房長官と同じく兵事オタクでございまして、ゼロ戦の本や戦艦、戦車の本をたくさん持っております。また、今、イラクへの自衛隊派遣の問題もありますし、以前、私のところの若い事務員が「戦艦大和って本当にあったんですか?」と聞いてきたこともあり、そんな時代になってきたんだと実感し、このような話をしようと思いました。
会員の多くの方はプラモデルで戦艦大和など作った経験をお持ちではないでしょうか。大和は旧帝国海軍の戦艦で、ある人は「非常にすばらしい機械であると同時に、非常に愚かなもので軍の指導部のもろさの象徴である。」と言っていますが、私も同感なのです。
資料を少しお持ちしたので、ご覧いただきたいのですが、戦艦大和は軍事機密であったために写真が非常に少なく、ここに載っているのも公式試運転の時のものであると思われます。
年表には1853年ペリー来航から載せてありますが、この頃の黒船は外輪船といわれ中央に水車があり、それが動力となる構造の船でした。また、船に窓をつけそこから大砲をのぞかせて打っていました。これより50年前のナポレオンの時代には帆船が主流であり、19世紀半ばにスクリューにより動く船はなかったようです。
その後、1894年の日清戦争、1904年の日露戦争のころになると、戦艦を中核とする船隊が作られ、スクリューで動く「戦艦初瀬」が登場してきました。常備排水量1万5千トンといわれ、直径30センチの大砲が4つ設置されていました。この何隻かが九州の対馬沖でロシアと戦うことになり、大砲を打ち合う戦いはこれが初めてであったということです。
この後、イギリス海軍は30センチ砲10門を搭載し、蒸気タービンを主機に採用した新戦艦ドレットノートを進水させて、戦艦発達に新しい時代をもたらしました。これまでの大砲の数を倍以上とし、あたる確率も高くくなり、第一次世界大戦の主力艦となったわけです。
戦争が大砲の打ち合いとなってきて、できるだけ遠くへ玉が飛び、大きな玉で威力がますことが争われるようになりました。そんな中、日本海軍も4隻からなる金剛級巡洋戦艦を作りました。世界最初の35.5センチ砲搭載艦であり、第一次世界大戦時には世界で最も強力な巡洋戦艦とみられていました。しかし。イギリスの影響で防御力が弱く、のちに改良が図られることになるのです。
日本でも、一回り大きい45口径40砲搭載の「長門」や「陸奥」といった戦艦が作られましたが、外国との製造競争も激しくなる一方で、お金がかかりすぎるということで、1922年ワシントン軍縮条約批准、また1930年ロンドン条約批准という流れになっていきました。
結局それでは納まらず、1933年には国際連盟脱退、1934年にはワシントン条約廃棄通告、36年には失効となり、再び戦争の時代がくることとなり、日本では「戦艦大和」が作られることになるのです。
大和は45口径46センチ砲を搭載し、最大射程42キロといわれておりました。当時の戦艦は同じ威力の大砲の攻撃では沈まないだろうといわれておりましたので、いかに大きな大砲を持つかが問われました。そのため、大和は大きな大砲を搭載するためと衝撃を吸収するために、最大幅も38.9メートルに広げられたのです。また、アメリカは攻めてくるのにパナマ運河を通ってくる必要があったので、運河の幅33メートルより大きな戦艦を作ることができないと考えたのです。更に、軍縮会議でイギリス、アメリカが5に対して日本は3の割合でしか作れないということから、数では勝てないので強い戦艦をつくる必要があったという実態もあったようです。
この後、時代は飛行機の時代となり、航空母艦が主力となっていきました。飛行機を飛ばすために、スピードが求められるようになり、このことが戦艦大和が結果的に活躍できない原因であったと考えられます。
世界地図にその後海軍の戦った場所に番号をふっておきましたが、1941年12月ハワイ沖で起きた真珠湾攻撃ではアメリカ軍壊滅といわれる戦いがありました。これに関してはいろいろな説があり、アメリカは既に暗号を解読しており、わざと攻撃させたのではないかと言われております。その後、マレーシア沖でイギリスと戦い、戦艦2隻を飛行機からの爆弾だけで沈めてしまいました。しかし、アメリカを倒すために戦艦大和を作り、どんな戦艦にも負けない大和を作った日本が飛行機だけで戦艦を沈めたというとても皮肉な戦争であったと思います。そして1942年の珊瑚海海戦、1942年のミッドウェー海戦、ガダルカナル島でのソロモン海海戦と日本はこのような戦争によって優秀なパイロットを多数失ってきたのでありました。1944年のマリアナ沖海戦では、めぼしい航空母艦が沈められ、その時も大和は何もすることなく終わってしまったのでした。結局、1944年のレイテ島の戦いではまともな飛行機も残っておらず、母艦をおとりにして戦艦で攻撃するという作戦に出ました。大和の主砲を発射し、アメリカの空母を沈めることもできましたが、その後のアメリカの逆襲により武蔵も沈没し、事実上、日本は海での戦いの力を失うことになったのです。
そして昭和20年、軍司令部は片道の燃料だけを積んで大和を出撃させました。海軍が死んだのだから、海軍の象徴である大和も死んでもらおうという考えだったのでしょうか。
戦艦大和は海戦においては最高の機能を持った戦艦であったと思います。しかし、時代はスピードと共に飛行機の時代になっていくことに気づかなかった日本のミスと、指導部の見通しの甘さが象徴されたものだったともいえるのではないでしょうか。華々しい戦いもすることなく海に沈んだ大和は、まさしくその時代の日本の象徴であったといえるのです。


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会長・篠田伸実   会長エレクト・副会長・杉江正光   幹事 高橋陽一     会報委員長・生信良雄