WEEKLY REPORT
第626号  No.30  2006年3月13日
超我の奉仕

前例会の記録
本日のプログラム
次例会の予定
○3月6日(月)第625回
○ソング:君が代・奉仕の理想
○行事:卓話
(担当 職業奉仕)
○3月13日(月)第626回
○ソング:我等の生業
○行事:卓話
(担当 社会奉仕)
○3月20日(月)第627回
○ソング:それでこそロータリー
○行事:会長エレクトセミナー報告
(担当 会長エレクト)

会長挨拶 早瀬正英会長
 ロータリーは6月いっぱいですが、新しい行事とかたくさんありますので、皆さんどうぞよろしくお願いします。その前に私が頑張らなければいけないですけど、なかなか力が足りず申し訳ございません。いつもですと米山奨学生の張青さんは今日奨学金の授与ということなんですけど、中国に帰っておられるということで、また日を改めてということになると思います。そして今日の卓話ですが『私の鍛造アイアン』と皆さん振り回すことが好きな人ばかりで、本当に楽しみにしています。去年もやっていただきまして、今年もだんだん上手くなればいいんですけれども、どうも緻密じゃないんで極めるということがなかなか私は無理なものですから、どうぞよろしくお願いします。
 今日はお二人、表彰が届いておりますので、この場を借りてお渡ししたいと思います。広江パスト会長に米山功労者第7回マルチ・プルということです。続きまして、今非常にお忙しい栗林ガバナー補佐にロータリー財団の方からマルチ・プル・ポール・ハリス・フェローピンというのが届きました。おめでとうございます。あとはクラブに米山功労クラブ第14回目ということで表彰状をいただきました。1回が100万円ということで、これで14回目ということで1400万円寄付したということです。
早瀬会長と広江パスト会長 早瀬会長と栗林ガバナー補佐 当クラブへの表彰状

来客紹介 出席報告
本日のホームクラブ 先々週の補正出席率
  17/27   62.96%   20/27   74.07%

慶祝行事(出席・親睦委員会 寺田 稔委員)
◆会員誕生日 高橋陽一君
◆夫人誕生日 早瀬宏子様 寺田勝子様

◆岐阜市長からの礼状
 皆様に8年間に渡って年間1,500円ずつご協力いただいた長良川ふれあいの森の礼状が届きました。今年度で一応期間は終了したということです。
ニコBOX (高橋陽一委員長)
◇早瀬正英会長
 3月は、普通は年度末です。ロータリーはあと4ヶ月がんばります。
◇栗林裕樹君
 ひと雨ごとに春になる季節になりました。長い旅からやっと帰って来ました。やはりホームクラブが一番です。
◇寺田 稔君
 親睦委員として慶祝行事の発表という大役を頂戴し、また、うちの愚妻の誕生日のお祝を頂戴するという、二重の喜びに、今は、心静かにひたっております。
◇篠田伸実君
 土曜日に、武藤さんと、ゴルフしました。おこずかい千円あげました。皆様によろしくとの事です。
◇田口利満君
 来た、来た、来た!黄色い悪魔がやって来た。悪魔の名は「花粉」。昨日さっそく悪魔に魅入られた。恐い人は家の中で布団をかぶってフテ寝しよう。

委員会報告
 来期の地区協議会の案内を出席義務者の方にお渡ししました。来月4月23日(日)当グランドホテルで11:30受付、12:00点鐘ということで、地区協議会が行われます。出席義務者の方よろしくお願いします。
内部卓話(担当:職業奉仕)
◆森 三智也委員長 『私の鍛造アイアン』
 前回に続きまして2回目「私の鍛造アイアン」ということで、アイアンには鍛造と鋳造があるわけですが、現代人は大抵クラブは刀の代わりにお持ちになっていると思うんですけど、ここに並んでいるのは全部鍛造アイアンです。堅い話は今日は抜きにしまして、私はこういうものをあまり見せないんです。というのは、昔から刀というものはあまり見せるものじゃなくて、持ち歩くものでもないと言われてきました。骨董市とか時々ありますね。産業会館で骨董市があって、刀が並んでいたりして、何かいい物ないかなと思って見てたら、ある日その刀屋が言うんです。「買わないんだったら触らないでくれ。」と。私はそんなこと言われたのは初めてだったので、びっくりしました。私が皆さんにこれをお持ちして見ていただきたいなと思ったのは、なかなか触る機会がないと思ったからです。だから、こういう機会に持ってみたり、触ってみたりしたらいいんじゃないかなと思って持って来ました。あまり人に見せるものでもないし、自慢するものでもありません。
 今日お持ちしたのは、こんなような刀です。皆さんどなたでもお立ちになって、見ていってください。ご質問がありましたら、受けます。
 左側の短刀は、相州住広次(そうしゅうじゅう ひろつぐ) 広次、ここが名前です。
肥前、佐賀県ですね。行広(ゆきひろ)。行広(ゆきひろ)というのは、肥前国忠吉(ひぜんのくに ただよし)の弟で、行広(ゆきひろ)という名前でやっていました。
 そして次が、濃州兼吉(のうしゅう かねよし)。
 これが有名な肥前国忠吉(ひぜんのくに ただよし)。
 備州住則秀(びしゅうじゅう のりひで)
 備州長船住長重(びしゅうおさふねじゅう ながしげ)。
 丹波守吉道(たんばのかみ よしみち)。
こういう機会ですから適当に触って持ってみてください。
質問「この名前というのは個人名ですか、ブランド名なんですか?」
肥前国忠吉(ひぜんのくに ただよし)なんていうのは、この名前だけで七代、八代あります。それから丹波守吉道(たんばのかみ よしみち)も、京都で七代、大阪に行って三代。月山(がっさん)なんて、ほとんどブランドと一緒で、月山(がっさん)何々とは書きません。この則秀(のりひで)さんなんかは一代当初、それからこの兼吉(かねよし)も一代当初、行広(ゆきひろ)は三代、四代です。
質問「実際に人を切っている刀があるだろうか?」ということですけど、まず、たいていチャンバラをやると刃が欠けますから、やっていないと思いますね。日本人は結構、穏やかな民族みたいです。大体、焼刃が深いもので10mmないと思うんですね。バシッとやると3mm〜4mm刃が欠けると思うんです。それを今度研ぎ減らしたとしても、あと刃文(はもん)がどれだけも残らないので、そういうことはしなくて、もう新たに作り直した方が早い。彦根城に行くと桜田門外の変で井伊直弼に切りかかって受け止めた時の刀があるんですけど、その時に三振りほどあったと思うんですけど、大体、三角形に刃が欠けるんです。4mmくらいの深さで欠けてましたから、それを研ぎ直すということはまずないわけで、こういう刀が残っているということは、日本人は刀を挿していても意外と喧嘩しなかったんではないかなと思います。また相手が持っていると分かっていれば、余計にしないんじゃないかなと思います。
 「これは、何でつばが付いていて、他のは付いていないんや?」という質問があったんですが、拵(こしらえ)というのは大抵どの刀も付いています。無かったのは、この月山、あとこれも無かったかな。あとのものは、だいたい拵(こしらえ)が付いています。この丹波守吉道(たんばのかみ よしみち)は、赤い朱鞘(しゅざや)が付いていました。ちなみにこれは錆身で、鞘に入ったままで、出ていましたが、それを研いだ状態がこれです。保存するには、白鞘(しらざや)がいいということなので、これから、白鞘(しらざや)を作らなければいけないということです。
 皆さん、これからもし、刀を見られる機会がありましたら、「どうぞ見て下さい」と刀を渡されましたら、礼儀としてお辞儀をします。相手の持ち物ですし、武士は刀をなかなか人に見せませんので、渡されたら礼をしてから見て下さい。それから刀は、峰の方を下にして、横にして見てはいけません。なぜなら、ひけが付いてしまうからです。それから一番注意しなくてはならないのは、唾を飛ばしてはいけない。半紙をくわえたりもしますけど、唾を飛ばさないようにということです。抜き身で渡された時は、普通は佩表(はきおもて)といいますので、刃を上にしてこうして持ちましたら、佩表(はきおもて)というのはこっちになりますね。たいてい、刀の場合、名前が入るのが佩表(はきおもて)に入っているので、渡されたら佩表(はきおもて)の名前から見て、姿を見る。それから裏を見ます。刃文、沸(にえ)状態、それから金線ですね。そういうものをじっと見ていきます。そして返してから、また礼をして終わります。
 ちなみに見ていただいてどれが一番古い刀かわかりますでしょうか?月山(がっさん)は室町時代です。行広(ゆきひろ)は、慶長新刀で1600年以降、関ヶ原の戦以降です。一番古かったのは、月山(がっさん)も古いですが、これも室町時代です。室町時代に、こんな地肌の綺麗な肌の刀というのは、なかなか大変だと思います。まして、これは備前刀ですし。この細かい地肌、これを小糠肌といいます。これも室町時代の短刀です。これはやっと手に入った刀で、どうしてかといいますと、私が養子に来た時に、風呂のくどがありまして、お祖父さんが刀を直角に曲げて火掻き棒代わりに使っていましてて、ある時その刀をふと見たら銘が入っていて、相州住広次(そうしゅうじゅう ひろつぐ)と書いてあったんですね。その錆身のやつをとりあえず持って行って真っ直ぐにしたらどうなるかなと思いながら、一時見ていたんですが、なかなかそれと出会う機会がなくて、徳川美術館に行った時に、その相州住広次(そうしゅうじゅう ひろつぐ)というこの刀が出ていたんです。重文クラスの刀でした。正宗の次に貞宗、この下に秋広(あきひろ)とかいるんですが、その流れをずっと二代か三代下がったところにいるのがこの広次(ひろつぐ)という人なんです。それは分かっていたんですが、実際この広次の刀を手に入れることが難しくて、やっとこの何年間ぶりで見つけてすぐに買いました。お金が全然貯まりません。他に何か質問ありますか? この中で一番古いのはこれです。見ていただくと分かると思うんですが、元の初めの目釘穴がこれで、今の目釘穴がこれなんです。まちから大体一寸あるので、この穴より一寸上の所までが刀身だったんです。長い刀を徳川時代になった時に、二尺三寸六分くらいの寸法(69〜70cm)に抑えろいうお触れが出たんです。その時に長い刀は下の方をつめたんです。だからここにあった「なかご」が結局下をつめてしまったので、なくなってしまった。だからこの刀は初めはもっと長かったということです。いつ頃そういう長い刀があったのかと言うと、応永備前1400年頃に刀が非常に長くなり、馬上から振り下ろすという時代があったんです。その長い刀を切りつめて鞘に入れて使っていたのが江戸時代です。この十哲の中に長義(ちょうぎ)という人がいて、そのお兄さんが長重(ながしげ)。弟が正宗の所に奉公に行って、覚えてきて備前で刀を売って有名になったのが弟。お兄さんは無名の方なんですけど、刃文、色々と特徴があって、長重(ながしげ)が1335年670年位前の方で、これが一番古いということが分かります。刀は刀匠によっても値段が違ってきます。保存刃、特別保存刃というのがあり、日本刀剣美術保存協会がありまして、そこへ刀を審査に出すとこういう鑑定書がもらえます。あまり保存する価値のない刀の場合は出ません。そして保存刃という鑑定書が出ますと、刀の値段もグンとあがります。だいたいここにある刀は保存刃、又は特別保存刃です。昭和40年代頃に刀剣ブームで刀を買われた方が、今亡くなってきていて、家族の方が、おいておけないということで多く売りに出ています。

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岐阜エトスロータリークラブ 2005〜2006年度
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会長・早瀬正英  会長エレクト・副会長・高橋陽一  幹事・園部貴敏  会報委員長・杉江正光